群馬SAKE TSUGUの歩み 第5話 椿山荘でのイベント企画、東日本大震災

群馬SAKE TSUGUの歩み 第5話 椿山荘でのイベント企画、東日本大震災

新年あけましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりました。
本年も皆さまに、もっと「ナイス!」「楽しい!」「嬉しい!」「幸せ!」と思っていただけるよう精進してまいりますので、引き続き、どうぞ、よろしくお願い致します!
年末から始めたブログ「群馬SAKE TSUGUの歩み」
徒然なるままの奮闘記、実績報告をお楽しみいただけたら幸いです。

東京のホテル椿山荘さんから、「群馬の地酒(日本酒)」のイベントを開催しませんか?というお誘いをいただきました。
農商工連携コーディネーターさんから県の担当に話が届いて、私のところに話が来ました。
その3人で9月に東京へ行って、椿山荘の担当者の方と、打合せを行いました。
「群馬の地酒」に、群馬の食材を絡めたイベントを椿山荘で開催しませんか?という提案でした。
椿山荘では、群馬県出身者の集まり、東京の群馬県人会の総会などでも利用されており、県人会の皆さまにも御協力をお願いすれば、人も集まるのではないかとのことでした。

打合せの内容を持ち帰って、群馬県酒造組合に話をつなぎました。
椿山荘の担当者さんは、群馬県にも足を運び、酒造組合にも直接訪問されて、お話をされるなど、非常に熱心な方でした。
酒造組合としても、前向きに検討していただき、当時の需要開発委員長の牧野酒造(高崎市:大盃・MACHO)の牧野茂美さんと一緒に、何度か椿山荘に行って打合せを重ねました。
その結果、イベントの開催が決定しました。

多くの方にイベントにお越しいただきたいと、群馬県人会の会議で、お時間をいただき、協力依頼をさせていただくことになりました。
当時の群馬県酒造組合、会長の栁澤酒造(前橋市:結人・桂川)の栁澤光雄さん、需要開発委員長の牧野酒造の牧野茂美さん、組合の事務局長、そして、県の担当2名で、東京に行きました。

午後の会議、会場は都道府県会館にある群馬県の東京事務所でした。
栁澤会長から、今回の新たなイベントの概要を説明し、協力依頼を行いました。
県人会の皆さまの反応は、私が思っていたのとは違って、簡単にすんなりOKという雰囲気ではありませんでした。
何やら、県人会で何年か前に酒造関係の協力をしたものの、その後のフォローが不十分だったのか、情報がうまくつながらなかったかで、少し不満があったようでした。
その時です。
もの凄い揺れが会場を襲いました。窓ガラスもギシギシと音を立てて今にも割れてコチラに飛び込んで来そうでした。
東日本大震災です。
県人会の皆さんも自宅に帰ることができず、もちろん酒造組合の皆さんも群馬に戻ることができず、皆で、県の東京事務所で朝まで一緒に過ごしました。
東京事務所の職員がコンビニに行って食料を調達したり、段ボールを用意していただいたおかげで、外よりも快適に過ごさせていただきました。
ユーモアのある県人会の皆さんと「イタリアンでもいただきますか」と言いながらカップスープをいただくなど、長時間、一緒の時間を過ごす中で、コミュニケーションを重ねて、結果的に、わだかまりも消えて、県人会の皆さんと酒造組合の皆さんの関係も良くなったように感じました。
朝になり、少しずつ電車が動き出し、県人会の皆さんも続々と帰宅。
我々も八高線が動いているという情報を聞いて、東京事務所を後にして八王子経由で、夕方、群馬まで戻ってきました。

群馬県でも東日本大震災の影響は大きく、県庁内に特別な組織を編成するという話が聞こえてきました。
トイレに行って「大変だなぁ」と思いながら、デスクに戻ってくると、上司から呼ばれました。
県内の電力や燃料などのエネルギー対策を行う 特別対策室への兼務(異動)発令の内示でした。
一般的な異動内示日には、必死に酒造などの業務の引継書を書いて、異動準備を行っていました。

イベントの立ち上げには携わったものの、結局、椿山荘のイベント当日も業務があり、現地に行くことはできませんでした。
その後も何回か椿山荘でイベントが開催されたようです。
蔵元の皆さまから、私の憧れ、サッカー元日本代表の中田英寿さんや、ブラザートムさんも会場にいらっしゃったという話を伺い、羨ましく思ったものです。

それでも、東日本大震災を一緒に経験させていただいたおかげで、今でも、栁澤光雄さんからは「戦友だ」と言っていただけて、思い出深いイベントになっています。

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コメント

  1. この時期、多くのイベント(企画)があったよね。色々とやったことで、群馬の地酒に興味を持ってくれる人も増えてきた感じですね。

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